【どうでもいい話と週末日記】
29日…夕方に母方のじいさんが死んだと連絡が入る。お仕事をパタパタと片付けてじいさん家に。
お線香をあげる。
30日…お仕事は忌引き。お休みをもらったものの、なんだかよくわからないのですがお通夜が金曜日、葬儀が土曜日になったので暇を持て余す。
午前中だけ大事な仕事があったので出勤。
午後はラーメンとか食べに行ったり。特に休まなくても良かった気がする。
夜はお葬式グッズを買いに出かける。
1日…1日も忌引き。通夜が夜からなのでやはり暇。この日も休まないでよかったような。
涼しく寝られるグッズを買いに出かける。ついでに富士でつけ麺食べる。
夜から近所の葬儀ホールで通夜。お経をあげてもらって焼香。
そのまま故人を偲んで(?)宴会。親戚一同が集まっているので子供達は大はしゃぎ。まあいいと思います。
2日…お葬式。やることは通夜とほとんど変わらない。お坊様がいっぱいいるくらい。
火葬場に行ってご飯を食べ帰ってくる。子供達はバスに乗れて大はしゃぎ。
30年ぶりに合う親戚とかもう誰がなんだかわかりません。
精進落としをして帰宅。あいネットのお食事がすごくおいしくて爺さんに感謝。
3日…普通の日曜日。雑務をこなしてお終い。
夕方車屋さんに行く。新しい車を見せてもらう。この車に決定。10日程度で納車だそうです。
知人たちが晩御飯を食べているというのでお邪魔する。
交通事故相談とか受けながら帰って寝る。
【じいさん】
何者なのかさっぱりわからないうちのじいさん。
大正15年生まれ、往年85歳。
家族構成も生まれた場所も良くわからない。なんか聞いちゃいけない雰囲気。
戦争でかなりつらい思いもしたようでその話も禁句。
お姉さんがいるのは聞いていましたが会うのは初めて。でも向こうは俺のこと知ってた。
ポーラ化粧品にお勤めでした。所長さんだったのでたくさんのポーラレディの皆さんをまとめるお仕事。
私と兄が子供のころはよくその事務所で遊んでいたのですが、お仕事上「おじいちゃん」と呼ばれるといろいろ問題があると思ったのか「おじちゃん」と呼ばされていました。40代で孫が二人ですからそんなもんかと。
その事務所がどこだったかさっぱり忘れていたのですが、先日大里のココスで食事をした際に、駐車場に当時と変わらない松の木がはえていて、それを見て30年ぶりに思い出しました。その事務所で使っていた扇風機が俺のところに回ってきて未だに使ってる。
ヘビースモーカーで吸っていたのはチェリー。震災の影響で販売終了してしまい仏前に供えられませんでした。
そのころの趣味は猟。日本平でキジを撃ってました。その鉄砲とか弾で遊んでいた記憶がある。今考えるととんでもない話です。縁側に散弾が入った箱がいっぱい積んであった。猟犬(ポインターのアルフちゃん)も飼ってた。
引退してからは釣り三昧。以下爺さんの名言。
爺「たつ、静岡にはアユ釣り名人が3人いてな、そいつらは一日に500匹以上釣るんだ」
俺「すごいね、おじちゃんは何匹くらい釣るの?」
爺「490匹くらい」(手帳に毎日何匹釣れたか書いてある)
渓流釣りとアユ釣りと黒鯛釣りがメインで、年をとってからは黒鯛がちょっと減って三保でいろいろ釣ってた。なので家の甘露煮はヤマメだったりする。
おじいちゃんの家には釣り専用の冷凍庫とか、釣り具を作る工房にしているプレハブ小屋とかある。おじいちゃんの車はいつも黒鯛の餌につかう「サナギ」臭い。
12年くらい前、安倍川でアユ釣りをしていたところ脳梗塞になり半身不随。リハビリを頑張ってかなり回復したのですが再度の脳梗塞でほぼ寝たきりに。
昨年末くらいから入退院を繰り返していましたが、ボケることもなく意識はしっかりしてました。
葬儀でも頑固者だとか一本義のある男とか皆さんそんなイメージのようでしたが、孫からしてみればいつもニコニコしている人でした。
いい爺さんでした。