ばあさん

【婆さんの話】

木曜日の夜に弟から婆さんの訃報が入る。
弟は葬儀関係の仕事をしているのでいろいろ手回ししてくれている。
こういうのは専門家がいると大変ありがたい。

友引やらなんやらの関係で日曜日の夕方から通夜になります。
まあ92歳のばあさんですので来る人も親族くらいなものですので慌てることもありません。

翌月曜日は葬儀で忌引きをとります。
孫(私の兄弟)の妻子の参列を悩みましたが、コロナもあるし学校を休ませるのもどうかと思ったので通夜だけ出てもらいます

【ばあさん】

私の父親の家系は北陸ですので祖父母が身近ではありません。もうだいぶ前に亡くなっています。
母方は地元ですので、おじいちゃんおばあちゃんといいますと母方の両親というイメージが強いです

ばあさんは昭和4年に富厚里で生まれました。アンネ・フランクと同じ歳。
裕福な実家は悪い人にそそのかされて財産が全部無くなったと言うのですが、若い時のきれいな写真がでてきたのでひょっとしたら本当かもしれません。

尋常小学校を卒業後に化粧品会社に入りました。そのままずっと働いておりましたので勤続50年の表彰を受けております。

44歳の時に孫(私の兄)ができました。
46歳の時に私が生まれました。つまり今46歳の私に孫が二人いる感じです。
往年92歳でして、もしばあさんと同じ年まで生きるのであれば46歳の私はちょうど人生の折り返し地点ということになります。

ばあさんは化粧品の営業所の所長をしておりまして、私の母親もそこに勤めていたため、幼稚園に入る前の私たち兄弟は駅南銀座にあるその営業所で過ごしていました。
44歳だからか化粧品屋さんだからかわかりませんが、おばあちゃんと呼ばずに「おばちゃん」と呼ばされておりました。

私の年でまだおばあちゃんが生きているというのはなかなか珍しいのですが、長生きというより若く孫ができたからだと思う

旅行が好きだということになっています。うちは家族旅行というのは一切しないので、代わりにばあちゃんがアチコチ連れて行ってくれたと思う。上野動物園にパンダを見に行ったり、富士急ハイランドに連れて行ってもらったり。化粧品事務所の熱海旅行にもついていったような気がする。大野屋の風呂に入った記憶がある。

うちの娘が生まれたときは「抱っこすると目をつぶる人形」を買ってあげたいとあちこち探してくれました。

最後に見たのはコロナワクチンを打つために連れていかれるのをすれ違ったとき。
痴呆がひどくて昨年から施設に入りました。
施設で楽しそうにしていたとのことでよかったと思います。

子供が男女一人ずつ、孫が男五人、ひ孫が男二人女四人となりました。

いいおばあさんでした。